ヴィーガンとして生きていると、様々な疑問や質問を受けます。私が初めて質問を受けた相手は、私の兄です。
その時は、まだヴィーガンを始めた頃で、自分の考えがまとまっていなかったり、明確な答えが出ていなかったりし、うまく自分の考え方を伝えられませんでした。すごくもどかしかったです。
『ヴィーガンとしてどう生きるのか、私は何を考えてこの選択をしているのか』
日頃から考えて、自分の気持ちと思考を整理する必要があると思いました。
誰かから質問をされたとき、せっかくの機会であるため、きちんと説明ができるようになりたいと感じました。
そして、今回は、よく投げかけられる質問に対し、自分の考えを整理できたので書きたいと思います。
ここでは、研究データを用いたロジカルな問題ではなく、倫理的な問題を扱っていきます。
注意この記事では少し過激な写真があります。- ヴィーガンとして生きていて、道が分からなくなってしまった!
- 感謝して肉を食べればいいと思う人
- 肉を食べずに残すことに疑問をもつ人
- 虐待されていなく、放牧の家畜を食べていいと思う人
- ヴィーガンが動物を食べない理由を知りたい!
感謝をする気持ちがあればいいのか?
そもそも、動物を食べることが常識であり、動物を食べないという選択は多くの人が理解し難いです。
環境の影響や、健康のために動物を食べないという選択をする人もいますが、ヴィーガンになる理由の中で1番理解がされにくいのは、動物の権利や動物愛護などを考えた倫理的な理由です。
この仏教の教えはとても大事です。
その時代は食料がいつでも手に入る物わけではなく、動物を食べる必要があったと思います。
しかし、今の時代は、動物を犠牲にしなくても、野菜や果物や豆などが簡単に手に入るのです。
動物の命を犠牲にする必要は、今はないのです。
現在肉を食べる理由理由はこの2つだけです。
もし、自分が動物の立場だったらどう感じますか?
例えば、誰か権力のある人に、
頂きます、と感謝する気持ちがあるので、その命をもらいます。
感謝する気持ちがあるので、あなたの子供をもらいます。本当にありがとう。
と言われたらどうでしょう。それでいいですか?
殺されてもいい動物はいません。子を殺されてもいい動物もいません。動物の親子が離される時、彼らは泣き叫んでいました。
動物は個性があり、感情もあります。彼らも感じているのです。
農場で育った人や、動物を飼っている人は、それがよく分かると言われます。
放牧ならいいのか?
平飼いとはケージフリーの飼育であり、これを聞くと、のびのびと自由に過ごしているイメージを持ちます。
でも実態は違いました。
下記の写真は、イギリスで、「animal liberation now」により、平飼い鶏の潜入調査がされた時の写真です。
ぎゅうぎゅう詰めなため、押しつぶされて死んだ鶏が多くいました。
その中には、腹の中に卵が残ったままの鶏もいました。死んで肉がなくなっている体の中に、卵だけがありました。
平飼いといいつつ、その実態は全く違います。しかし、消費者に平飼いの良いイメージを植え付けるため、卵のパッケージには、放牧されているような鶏の写真が貼られています。
注意下記に少し過激な写真があります。
本当に、広い場所で放牧されていたとしても、私はその動物を食べたいとは思いません。
わざわざ感情や個性のある動物を殺して食べなくても、他の手段で栄養を摂取できるからです。
タンパク質は穀物、野菜や果物、豆から摂取できます。
また、「私はその動物を殺せない」というのも理由の一つです。
もし、自分がその場所にいて、ナイフを渡されても、彼らの喉を切り、肉を割いて殺すことはできません。
今の時代は、スーパーに行けば、お肉が売ってあります。誰かが殺した動物ですが、その光景はパッケージからは見えず、実感しにくいです。
でも、それは誰かが殺した動物なのです。
そして、優しく殺すことはできません。殺すことは残酷です。なぜなら、その動物は生きたいからです。
残さずに食べればいいのか?
食事は、「残さない」ことが目的ではありません。
「食べることが色々なことに影響している」というのを考えることが、大切だと思います。
「目の前の食事ができるまでに、どれだけ地球環境や他の国の人たち、動物たちに負荷を与えているのか」ということを考えることが、「食べ物を大切にする」ことに繋がります。
残さないようにするのではなく、無駄に食べないようにしたり、外食する際は注文しすぎないようにしています。
エシカルヴィーガンの権利が法廷で可決
2020年1月にイギリスで、エシカルヴィーガン(倫理的ヴィーガン )は「哲学的信念」として可決されました。「すべての動物の命を尊重する」という考えのエシカルヴィーガンが、職場で権利を守られる権限があると判決されました。企業側は、従業員のヴィーガニズムを尊重し、暴言や差別をしてはならないと法的に決まりました。これにより、人種差別や性差別と同等にハラスメントとして扱われるようになります。
BBC「Ethical veganism is philosophicalbelife,tribunal rules」03.January 2020
世界では、もうすでに法も動き出し、少しずつ変わってきています。
これは、大きな一歩です。
しかし、日本でヴィーガンの権利が認められるのは何十年も先になるでしょう。
最後に
私は、「生きている動物の命の尊さは種によって変わりはない」という仏教の精神を大事にしたいです。
私たち日本人の祖先が共感した仏教の心は、ヴィーガンに通じると思います。
食べることは、自分の体と心を作っていきます。『優しい選択』により、健康な体と思いやりのある心が育まれると思います。
私がヴィーガンでなかったこの25年間は、食べられる動物について一切考えたことがなかったです。
しかし、ヴィーガンとなってからは、食事の際、動物を思い出すようになりました。
患者に寄り添う看護師よりも、動物や地球に寄り添うヴィーガンの方が向いてる…
そして、動物を殺して食べなくても、植物性食品から栄養を摂取できます。
私はこの選択肢のうち、植物性食品を選んでいるため、今、ヴィーガンとして生活しています。
今回、よく聞かれる質問に対して、自分の考えを書きましたが、みなさんはどう思いましたか?
ヴィーガンである人や、そうでない人も、何か違う角度から考えがあればぜひ教えて下さい。もちろん、内容に共感してくれた方もいれば幸いです。
下記の記事で魚を食べない理由について書いているので、ご興味がある方はぜひ見て下さい。
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